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LTV2,000万円超

Life Time Value(顧客生涯価値)

人生の大きな買い物!?というと何だろうか。家・マンション、マイカー、保険…一般的にはこの辺が世間で言う大きな買い物か!?

家・マンション、マイカーは一括では買わないケースだとローン返済で毎月支払う。保険は基本、いつでも解約できるから物の値段は支払った回数がそれとなるが、生涯に渡って毎月支払う人が多いから自動車よりも高額になることもあるようだ…近年は変わってきてるようにも感じる、サブスクや、スマホ定期購入ものとか

さて、特定の宗教、仏教にハマってる場合は人生の大きな買い物に『宗教』を付け加える必要がありそうだ。場合によっては最も大きな買い物になるかもしれない。金額的にも精神的にも与える影響の大きさによっては超高額商品となり得る。宗教の定義は広い。特定の誰かや何かを信じる行為を示すのならば、全てのコンテンツが宗教となる可能性がある…僕はサプリメント教信者である。

一定の条件を満たしているもを『宗教』と定義した場合(狭義の宗教)。ここでは神や仏など超越した存在を頂点とした組織団体、または霊能力を持つ人が教祖化している、カリスマ的な占い師の類などにしよう…新興宗教とでもいうのかな?

宗教者、教祖さまが信者をハメていく仕組み(洗脳)はまたの機会に、僕と母の実体験を。

ここでは洗脳の話では無い。大きな買い物に共通するのことは、少額ではあるが定期的に払い続けている点だ。家や自動車など価格が決まっていて現物がある。もしくは定額を支払うことで 受けられるサービス(スマホ、ネットフリックスなど)は、その必要性やメリットが解りやすく、要不要の整理をつけやすい。ゆえにプランの見直しや、売却ができるものもあるだろう。

これらに当てはまらない、保険とガチにハマる宗教。双方に共通する事は『恐怖を煽り安心を売る(厳密にみればセールスはほぼこのスタイルではある)』事だ。保険の厄介なところは安心を得るために加入するわけだが、保険を使わない状態がベストであること。入っててよかった!と思える時は健康が著しく害され危機的状況かもしれないし、保険の安心感では補えないかもしれない。保険はリターンとの損益分岐点がある程度シミュレーション可能だ。掛けてる時間が長いほどリターンは損の方へと向かう。当然のことではあるが全ての保険が無意味であるという話ではない。加入しておくべきものもあるだろう。ここでの保険は医療保険、終身保険である。

とはいえ、保険の安心は、僕にとっては不思議な話でしかない。(自動車保険と火災保険には加入している…事故の発生確率と損害額の大きさを考えると使うことがなかったとしても安心が上回る。)僕は保険に使うお金があるのなら、書籍を買ったり、自己投資に使う。

余談ではあるが、国民健康保険料(所得や年代で掛け金は変わるものの)、仮に80歳まで生きたと仮定すると、2023年の保険料早見表でざっくりシミュレーションすると、およそ2,000万円ほどの支払いになりそう。(くれぐれも所得の推移で大幅に変わる)

齢80オーバーの母もまた、民間の医療(終身)保険に加入していた

健康で長生きに対する執着心は尊敬に値する母は、車で15分ほどのところに、女性専用フィットネスがあるのだが、興味はあるものの経済的に厳しい!と聞く。そんな中、加入の保険会社から掛け金を上乗せしませんかの案内が届き、それ検討してるというのだ。僕にとっては大量のハテナ?で脳内が埋め尽くされた(脳内メーカーならオールはてなマークのあれだ)、保険は安心の材料にはなるかもしれないが、加入したとて健康になることはない。まして掛け金を上乗せしたら病気に罹らない!わけでもない。(母は年相応に極めて健康で元気である。)ただただ掛け金が大きくなり月々の支払いの負担が増えるだけだ。

そこで母に提案、毎月約五千円強の保険をさらに保険金を上乗せするのならば、それを止めて、フィットネスに行った方が価値があるのではないか?…と。フィットネス(運動の習慣)のメリットは、始めた瞬間から身体に変化が生まれる。すぐに目に見えたり、感じなくても身体の中では良い変化が起き始める。精神にも良い。運動のメリットには信頼性の高いエビデンスが山ほどある。トレーナーさんやサービスを利用している人と少なからずのコミュニケーションも良薬だ、これも健康で長生き、幸福感の向上に関係するという研究はいくらでもある。つまり、保険とフィットネス、どちらか一方しか選べないのであれば選択の余地などない!フィットネスの1択だ。

何度も何度も保険のデメリットを語り続け、フィットネスのメリットを語り、お約束の『歳だから』のやらない言い訳をエビデンスをもって潰し(筋肉は裏切らない)、健康向上の科学的根拠を伝え、『もっと若ければ』には、『今日が一番若い』と言い。『もう遅い』には『遅いものなど何もない、早いか遅いか?じゃなく、ヤるヤらないか!数年後の自分が、あの時からでもやっていればよかった』と後悔しないように…遅いを言い訳にするのは、理想が高過ぎる、完璧主義(完璧以外はゼロ点)、他人との比較から生まれる。…身内、身近な人の言葉ほど届きにくいものだ。

そんな状況だった時、たまたま友人の女性2人が僕の実家へ泊りに来た。(毎年恒例の蟹パーティーの会場が今回は僕の田舎だったのだ)どんな話(女子トーク!ってやつか?)から、そうなったのか不明だが、母にフィットネス加入を強く勧めてくれたことで、保険は解約。その浮いた分に少しプラスして今では週に3日、欠かさずに通っている。仕事(自営業)を辞めたら週4日にするらしい。いい感じにハマってる…医療保険はいくらの買い物になったのだろうか?2,000万円は超えてるんだろうな。

さて…お次は最強の敵?ラスボス!?『カリスマ教祖さまの宗教(仏教)から母には卒業していただきたい。母を卒業に導くことは僕自身の人生の課題の1つとなっている。

かれこれ15年以上、母に『他を信じる宗教を離れ、自分を信じる宗教』へ鞍替えするように勧誘している。自分を信じる道(宗教)を僕は『仏道』とよんでいる。

カリスマな教祖さまから教わる仏教の違和感や不自然さ、信仰(※1)することが非論理的で、非合理的であること、卒業することで得られるメリットを伝えている。本人も違和感や矛盾を感じてはいるものの捨てることができない。サンクコスト効果だ。過去に信じてきた自分の行動は誰しも批判、否定はしたくないものだ。それが自分自身であっても!ましてや他人になど!!

(※1)『信仰』には良い悪いがある。大きく二分すると、良き信仰は自分を信じる事!悪いは他を信じる事。この話もいずれ深堀したい、

その時 最良だと感じたことが、この世を去るまで永遠に最良であり続ける事など、何ひとつとしてない。自分も変化するし、周りのすべてが変化し続ける。青空に浮かぶ雲のように。そんなことは誰かに教わらなくても、心のどこかで感じているはず…『諸行無常』である。過去の自分をいい意味で否定することも必要だ。

『あの時は最良であった。しかし、今は変った!』というだけである。

その他にも卒業できない罠が宗教にはある。『恐怖信仰』だ。これもやめられなくなる理由の1つだ。ここに洗脳がある。恐怖信仰は一つのテーマとして書くことにする。

カリスマ教祖さまのお寺にとって、母のLTVはいまだに上がり続けている。全盛期ほどではないにせよだ。お布施以外に奉仕活動や通勤費等、今までに使ったであろう時間とお金 推定2,000万円超

当初の目的から外れてはいないか?確認する必要がある。目的がすり替わっていないか?人はいろんな要因で目的と手段を入れ替えてしまう。自分の無意識でも意識的にも入れ替える。或いは宗教の指導者が少しずつ意味をズらして都合の良い方に悪い意味で導く。あなたのLTVをあなたはシンに自分の為に使えているか?時間もお金も。